パチンコ依存症を克服したいと思っているためのサイト:禁パチNET

未来は案外明るいもの・・・そう信じる

パチンコがなくてもやっていける

 

僕の場合、パチンコをやめて早3年が経過することになりました。それまではほぼ毎日のようにひっきりなしにパチンコに通っていました。仕事がある日も、休みの日も、どこか用事で出かけている時・・。常に頭の中でパチンコが存在したように思えます。

 

しかし2011年、東北襲った大震災をきっかけにパチンコに対する考え方が変わるようになりました。「多くの人が亡くなり、帰る家もなく苦しんでるのに、俺はのんきにパチンコを打ってる・・・」。このことを考えると急激にパチンコを打っている自分に後ろめたさを感じるようになりました。そしておもいきってやめる決心をし現在にいたります。本当は震災だけが止めたきっかけじゃないのかもしれませんが、死生観が大きく変わったのは事実です。

 

パチンコをやめたことで、起きた変化は様々でした。行かなくなった当初はなんだかモゾモゾしてパチンコを打ちたいという衝動がありましたが、数ヶ月も経つとパチンコに行かないことが普通の状態となり、現在ではパチンコなんて行きたくないと思えるようになりました。パチンコをやめて生じた大きな変化は以下のとおりです。

 

・パチンコに行かなくても全然楽しい。今までの自分がいったい何だったの?
・お金を使わなくなったから、欲しいものが買えて嬉しい
・自分の趣味に時間をさけるようになった
・スポーツをするようになった。体が軽くなったので毎日楽しい
・世間のニュースや人の意見に耳を傾けれるようになった・・・etc

 

後悔よりも一歩すすめた喜び

 

パチンコをやめたことで自由に使えるお金も、時間も増えました。また交友関係に力を注ぐことも出来たし、新たな資格取得に向けて勉強する余裕も生まれした。

 

もちろん、今までパチンコによって失われた時間やお金については後悔もあります。いくら使ったのかは数えてませんが、おそらく数百万は余裕で失った思います。金額を考えると馬鹿なことをしたなと思うこともありますが、過去の失敗があるからこそ前に進めたという充足感もあります。

 

人は何かに向かって前進しているからこそ、「今日を生きた」という満足感に浸れるのだと思います。

 

1日中パチンコ台に座り、わずかなあぶく銭を手に入れることが本当の幸せなんでしょうか?少なくとも僕の場合、幸せではなかったです。

 

パチンコをやって勝った時は嬉しかった、負けたときはすごく悔しかった。今でも パチンコ屋の前を通ると「賑やかだな・・」と当時を振り返ることはあります。しかし、打ちたいと思うことはありません。自分は意思が弱い人間だと知っているからです。ここでパチンコを打って、万が一あぶく銭を手に入れてしまったらこれまで更正できた価値観がまた崩壊してしまうんじゃないかという恐怖があります。

 

ここで言いたいこと

 

パチンコ屋ではいまだ多くの人がいます。2013年以後はその客数がのきなみ減っているとは報じられているとはいえ、まだまだ賑わっています。サラリーマン、お年寄り、主婦、学生、ニート・・・あらゆる人が同じ目的を持って一ヶ所に集うという、考えてみると非常に特殊な環境です。

 

この中にどれくらいパチンコ依存症の人がいるのだろう?と考えたら、非常に嫌な気持ちにさせられます。自分の親くらいの人が、なんとも言えない表情で黙々打っている様子や、働いてるのかわからないような格好でタバコをふかしながら様子を伺う若いやつら。

 

もしも今現在パチンコというものがなかったとしたら彼らはどうなっていたのかとつい考えてしまいます。人の生活にあれこれ言うことは無粋なことかもしれませんが、人生を切り崩してるようなものだと指摘したくなります。かつての自分がパチンコ中毒だったからこそそう思わざるおえません。

 

以上、今回は自分語りをしてしまいました。読んでくれた人の中には共感できる人もいれば、わかんねーよという人もいるでしょう。しかし、これだけは確実にいえます。パチンコを打つ自分よりも打たない自分の方が好きだということです。(終)